男脳、女脳の違いと性差

雑学

 今回は、前置き無しで始めます。

 脳科学者によれば、男女の脳には、その能力に影響を与えるような性別による違いはないそうです。
 でも、男女の物事の考え方、認識の違いについて、解説している情報を見ると、なるほど!そうだそうだ!

 と納得することが多いのではないでしょうか?

 脳科学的には違いが見られないのに、経験上、多くの人が、男女の物の考え方、捉え方、感じ方、表現の仕方等の心の動きに違いがあるという認識を持っていると思います。

 これはどういうことなんでしょう?

 よく言われる話で、女性の脳のほうが、左右の脳の間をつなぐ脳梁が太いという話が有ります。
 この影響を調べたペンシルバニア大学の研究チームの研究では、女性脳では左右の脳の結びつき強く、それに比べて、男性脳は、左右の各々の脳内部での結び付きが強い傾向がある。という結果が確認出来たそうです。
 こういうことから、だから、女性は、ながら作業が得意、男性は集中的に物事を考えるほうが得意。という話が脳構造の違いに擬えて、実しやかに言い広げられている。ということなんでしょう。

 その方が、話として面白いし、聞いている人も納得しやすいです。
 でも、ですね。男女の脳に脳梁の太さによる違いは確認できなかったという研究結果もあるようです。

 男女の心の動きの違いは、脳みその構造の違いによる物では無く、後天的な物なのでしょうか?
 でも、世界各国の様々な文化の違う環境で育った男女でも、その違いに対する認識は、ほとんど同じではないでしょうか?
 過去から、様々な名言などで、語られていますよね。どんな国の人の名言であっても、なるほど!そうだそうだ!となります。

 詳しくは知らないのですが、脳の記憶や学習などの神経活動はシナプスの接続によって作られていくという話を聞きました。
 これは、脳の外見的な構造に現れない、神経接合構造の違いがあり、先天的に男と女で違う構造になっていると言うことなのかもしれないと、勝手に解釈してみたりします。

 今回、このネタの話を始めたのは、男女の脳科学的な性差の仕組みを暴こうとする物ではないので、脳科学的な話はここまでにしておいて。

 ここからが本題なのですが。(笑)

 やっぱり、男女ともに、心の動きに違いがある(というより異星人レベルに違う)という認識はありますよね。

 自分なんかは、これを話のネタに、こんな話を友人にしてたりします。

 「話を聞かない男 地図が読めない女」という単行本がありますが、この本のタイトルを見ただけで、そうだよな!と納得する人が多いと思うんですよ。
 このタイトルを言い換えると「コミュニケーションが苦手な男 空間把握能力が低い女」になると思います。

 私は、これをこんな風な話にして、友人に話してます。

 太古の昔、人間がまだ狩猟民族だった頃。男達は、狩猟のために村から遠く離れて、旅に出る必要があった。
 村から離れて遠くで狩りをしてちゃんと村に帰ってくるためには、自分が村から離れてどの辺にいるのかという自分の存在位置を把握する能力が必要になってくる。また、狩りの途中では、獲物に気づかれないように、無駄な会話などはせず、必要最低限の意思疎通で狩りの行程を済ませている。
 このため、空間把握能力が優れ、コミュニケーション能力は向上しない。
 一方、女は、狩りに出た男達の留守の間、村の中で子育てをしながら、生活を守っている必要がある。そのためには、同じ女同士で協力し合う必要もあるため、仲間はずれにならないよう会話でコミュニケーションを取りながら、いざこざを起こさないように過ごしていく必要がある。
 このため、コミュニケーション能力が優れ、空間把握能力は向上しない。
 これが、人間のルーツなので、その遺伝子が受け継がれているので、話を聞かない男 地図が読めない女が出来上がる。

 もう一つ。

 これは、自分の話ですが、仕事から帰ってきて、夕飯を食べるときに、テレビが点いていてニュース番組などを見ているわけですよ。
 でも、いつも、カミさんが今日有った話とかを機関銃のようにしゃべってくるわけです。
 ニュースの内容にも興味があるので聞きたいんだけど、カミさんの話をいい加減に聞いていると、後で不都合なことになるリスクもあるので、聞きたいニュースからは耳を背けて、カミさんの話を聞くしか無いのですが、これが結構ストレスなんですよね。
 テレビを消してしまえばすっきりするんでしょうけど、それじゃ嫌みです。
 自分の音楽系の趣味の関係で、自分の娘ほどの年の女の子の友達も多いのですが、その子達には、いつもこんなことを言ってます。
 「結婚して、旦那がテレビを見ているときに、色々話しかけて、自分の話を聞いてくれない!って、怒っちゃダメだよ。」
 「男の脳みそは、同時に二つのことは出来るようになってないので、何かに夢中になっているときに話しかけても、まともな会話はできないので、ちゃんと話をしたいなら、やっていることが終わるまで待ちなさい。」と。

 男の自分は、考え事があって、自分に会話に集中できないときには、適当に相づちをうっちゃってることが多いですね。

 女性では、道ばたで、ちょうど曲がり角の所に立って、おしゃべりをしている女性をよく見かけます。
 本人達は道ばたで話をしているだけの感覚なのかもしれませんが、その角を曲がろうとした人は、邪魔でしょうがないです。
 このあたりが、自分が邪魔な位置にいるという認識が出来ない(=空間把握能力が低い)。事を証明しているのかな。なんて、勝手に納得しています。
 逆に、そう言う物なんだと思うと、そのことをとがめるような気にもならず。だって、迷惑と判ってやっているわけじゃ無いんですから。

 そんなわけで、男女のどちらが正しいとか、優秀と言う話ではないです、男でもコミュニケーション能力が優れている人も居ますし、女性でも空間把握能力に優れている人も居ます。
 ですが、個人差は大いに有ると思いますが、マクロ的に見ればそう言う傾向が強い。ということです。

 これは、ほんの一つの例でしたが、そう言う違いが、男女の違いとして、面白いと思いますし、良いところ、悪いところをお互いに補いながら生きていけるのではないかと思います。

 このブログのタイトルに、性差という言葉を書きましたが、性差というのは有ります。
 そうじゃなければ、男女の区別が無くなってしまいます。(笑)
 無ければ、男としても女としてもつまらないですよね。

 その違いが、好ましく映れば、愛おしい生き物。煩わしく映れば、不可解な生き物。になるんでしょう。
 相手のことが好きなのであれば、煩わしく思う部分も愛おしいと思えてしまうというのもありますね。

 男女の違いの話をするとネタはいくらでもあるのですが、脈略がなくなるのと、結論が出るような話でもないので、続きは、何かの折に話題のネタとして出てくれば、書こうかと思います。

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